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”普賢、鳴りやまず”

以前 コスモスを見た ”しまばら芝桜公園” にポピーを見に行ってみました。

現在は名前が変わり ”しまばら火張公園”と言うそうです。
丁度 花まつり期間で5月27日まで、ポピーも終盤でした。
バックに平成新山、とてもきれいな自然と調和のとれたポピーでした。

帰りに、案内の人に聞くと、平成新山とは、普賢岳が噴火し、溶岩ドームが
100m以上高くなり、平成新山となったようです。 ヘリコブターで種をまき
現在のような緑ができたとのこと、
帰りに、火砕流や、土石流が流れた跡が見えるルートを教えて頂き見てきました。
かなり広範囲にわたっており、ビックリしました。

20年以上前、当時の島原の鐘ヶ江市長のお話しを聞き、又市長の著書
”普賢、鳴りやまず” を読んだことを思い出します。
住民に避難指示を出すことは、家畜を死なせること・・・・
噴火が大きくなるのか、分からないなかで、
避難指示を出すことは、本当に辛かっただろうと思いました。
この広い地域に、多くの住人や、家畜、家、学校、畑・・・・
避難指示を出した時点では、住民の死者はゼロ

避難指示が出たあと噴火、火砕流は約3年間続き、
自衛隊の方など死者44名の方がお亡くなりになりました。

火砕流、土石流の跡をみても、自然の力は想像以上です!

”しまばら火張公園”
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”平成新山”
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”火砕流、土石流跡”
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この本は、市長のサイン入りで、私の宝物です。




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